こんにちは。
今日も訪問してくださりありがとうございます
尾崎美穂です。
タイトルの言葉は、先週講座を受けにきてくださった生徒さんの言葉です。
ペンデュラムも靈氣もこちらで習ってくださった生徒さんですが、新たに密かに始めているオープンにはしていない『イメージワーク』の講座がありまして、そちらを受けに来られた時に出てきた言葉です。
カミサマは人によって価値観や立場が違うので一概に「よいもの」とも「わるいもの」とも言えません、というのが本当のところです。
今、朝ドラでやっている「らんまん」では、
主人公のお母さんがなかなか子どもが出来なくて
近所の神社にお百度参りのように毎日お参りして赤ちゃんができるように、とお願いをしていました。
そしてついにお腹に赤ちゃんが宿った時、
急に義父とご主人が亡くなってしまい、
更には自分も出産後数年してまだ子どもが小さいうちに
亡くなってしまいました。
カミサマはちゃんとお母さんの願いを叶え、赤ちゃんを授けてくれたので、後継ぎが欲しかったその家にとってはとても有難いいい存在です。
ですが、その見返りとして義父とご主人と本人の命まで
要求されてしまったのですから、生れてきた子どもにとっては
いいものとは思えないかもしれません。
現代でも似たようなことがあって、
会社にどうしても嫌な上司がいたOLさん2人が、「縁切り」で有名な神社にお参りにいきました。
すると願いが叶い、その上司は異動になって自分たちの前からいなくなったそうです。
カミサマのお陰で上司がいなくなったので喜んだ彼女たちですが、数年後に二人揃って「ガン」になりました。
見返りに自分の生命力を捧げたのです。
見返りは自分に限ったことではないんです。
某歌舞伎役者さんは、奥さまを捧げました。
(いや、本人は妻を捧げますので願いを叶えてください、とは
言っていないと思いますが、結果としてそうなったということです)
この奥さまのこともあってマスコミにもかなり取り上げられていましたし、知名度が一気に上がりましたよね。
思うに、「神頼み」って今の人よりも昔の人は必死に真剣にしていたのではないでしょうかね。
何が何でも、自分の命に代えても、そんな思いでカミサマに
祈らなければならなかったのではないでしょうか。
その生徒さんは年に数回神社やお寺に行ってお参りなどをしているそうですが、「神頼み」をしなればならないほど何かに
困っていたり不幸なわけではないそうです。
かといって、建造物としての美しさを見に行くとか、庭園が素晴らしいから見たい、というわけでもないようです。
ただ、神社やお寺に行くのが好きだから、と言っていました。
なので、行く工程が好きなら、お参りはしなくてもいいんじゃないですか~?と提案してみたんですけど・・・
さて、今後どうするのでしょうか
そして運勢はどうなっていくのでしょうか
報告を待ってみます
最後までお付き合いいただきありがとうございました