視る目を養わなければ!

こんにちは。

 

今日も訪問してくださりありがとうございますラブラブ

『レイキと癒しのサロン ハルモニー』 の 

尾崎美穂です。

 

 

 
今日はちょっと最近思っていることをつらつらと・・・
 
 
私は大学の教員養成課程の書道科を出ており、
大学生時代は作品の締め切り前になると
徹夜で教室で書道を書き続ける、という生活を送っていました。
(当時、大学の出入りはフリーだったので、全然OKでしたあせる
 
 
 
少人数の学科で上下関係も他と比べると濃かったため、
入学式後にすぐ新歓コンパがあったり、
毎年学科の合宿や旅行があったりと
ほぼ学科内の顔は分かるくらいでした。
 
 
教室で書いていると先輩も来たりして、いろいろ話も伺ったものです。
 
 
『書く枚数に比例して上手くなるよ』
 
と、教えてくださった先輩もいました。
 
 
 
でも最近、それはちゃんと見る目が養われてからのことだな、と
思いました。
 
 
書道科では書道を専門にやっている人ばかりなので
それなりに見る目もあり、どこをどうすればよ良くなるのか、
ある程度は自分で分かりますが、
 
 
それでも作品を1人1人批評する『批評会』があり、
全員から批評を受けてきました。
 
 
ここで、自分では気づかなかった視点を教えてもらうことで
その視点を自分に吸収し、どんどん見る目を養われていったと
後になってしみじみと感じます。
 
 
1年生の時には他の人の批評も何を言ったらいいのか?
どこを見ればいいのか?
分らず戸惑っていたものでしたが、
 
 
4年生にもなると、あそこがー、ここがー、と
スムーズに批評できましたからね滝汗
 
 
 
最近は、物や景色を見るときにエネルギーを意識して
見るようにしているのですが、
 
最初の頃は『キレイキラキラ』『清々しいキラキラ』『素晴らしいキラキラ』など
思って見ていたエネルギーの悪いものも、
目が慣れてくるにつれて 『気持ち悪いガーン』『怖いガーン』 と
感じるように変わってきました。
 
 
特に自分の目で見るよりも、写真で見た方がこういうものは
分かりやすい、ということも発見しました。
 
 
実際に目で見た時と写真の時とちょっと印象が違うはてなマークと思うことは
ありませんか?
 
写真の方が本質を写していることが多いです。
 
 
では、一つ例を。
 
 
動悸がしてきます~ゲッソリ
 
 
 
 
 
 
 

最後までお付き合いいただきありがとうございました照れ